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富山の水はすごい!


昨日10日「ブルーゴールド 狙われた水の真実」特別上映のあとのトークライブ。
とっても充実してました。
参加者はちょっと30名弱と、ちょっと少なめでしたが、
湧水研究の張先生の富山の水の話といい、小水力発電つまり水車などを利用した
地域循環型のエネルギーの作り方、そしてこうちさんの自然農と水の関係など、
なるほど!と思うお話が聞けました。

特に最初にした利き水
利き水
8種類のいろんな水(県内の湧水、水道水、市販の外国の水、東京の水道水など)を
利き酒ならぬ利き水で、どこの水かあてっこするもの。
さすがに8種類の水の判別は難しいけど、
「生地の清水(しょうず」「evian」「東京の水道水」は、この中でもわかりやすい水らしい。
どんなふうに違うかはなんとなく想像はできると思うけど、
「生地の清水」はすこし塩気があるというのは知らなんだ!
「東京の水道水」も”おいしい水”ということで胸張っているそうですが、
水のめちゃくちゃおいしい富山の人にとっては、
何これ!!っていう味になるはず。

その「めっちゃおいしい富山の水」
実際全国の名水100選のうち8か所が県内にあるというのは、
熊本県と富山県だけという張先生。
そしてその秘密は、高い山とそこに降る大量の雪、それが地下水となって
長い広大な扇状地の下を時間をかけて富山湾にわき出る水。
それが富山の豊饒の海のわけでもあり、富山の水の量・質とも
抜群の豊かさとなるという。
レクチャー

映画は世界中で起きている水をめぐる悲劇を描いているけど、
環境問題の大きな原因は過剰な経済活動にあることを、
ここでも衝撃的な事実として語られます。

本当に富山の水はおいしい。そしてたっぷりと使える。
そんな中で、茶色い汚い水を飲まざるを得ない地域のことは考えにくい。

ヨーロッパ向けに輸出するバラ作りをするアフリカのある地域では、
バラのハウス栽培で生活をしていて、その灌漑用水として近くの湖水を
組み上げていたが、水が枯れ始めている。
生活水としても使っていた湖の水がなくなれば彼らは生きていけない。
そのバラが「フェアトレード」で取引されてたものだということに、
私はショックを受けた。
貧困から救うために始めた「フェアトレード」でのバラ栽培は、
結局のところ、彼らの生活どころか命まで奪いかねない結果になっていること。

ファッション雑誌の中に出てくる、パリの素敵な花屋さん。
色とりどりのバラの美しさに、ため息をついていたけど、
今度は、違う意味のため息をつきそう・・・

皆さん、輸入された野菜や果物、花を買うということは
その地域の水も(ペットボトルの水の比ではありません)買っている、
ということを知ってくださいね!

もうちょっとその仕組みを知りたい方は、
ぜひ映画を見てくださいね!

muro

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2010⁄04⁄11(Sun) 14:10   シネマホール | | | ↑Top
真打?シャネル物語


昨年からココ・シャネルの伝記ものの作品
「ココ・アヴァン・シャネル」当館でも上映した「ココ・シャネル」
が続き、そして3作品目となる「シャネル&ストラヴィンスキー」が今日から公開した。

先の2作品が、シャネルの成功物語として、孤児院育ちの若きシャネルが、
お針子として働くうちに次第にそのデザインセンスと、アイディアで成功し、
その間に出会う男たちとの恋そして別れを描いていた。

「シャネル&ストラヴィンスキー」のシャネルは、
すでに成功し、今や時代の寵児として女性はもちろん芸術家からも
一目おかれる存在となっている。
しかも、演じるのはシャネルのモデルであり、シャネルを体現するミューズとして
圧倒的な存在感を示していたアナ・ムグラリス。

衣装もカール・ラガーフェルトが担当し、
ストラヴィンスキーを招待するヴィラのたたずまい、インテリアなど
どれをとってもシャネルそのものという、シャネルの真髄を伝えるものとして
まさに真打と言えるかもしれない。

物語はストラヴィンスキーのバレエ3部作の最後の作品「春の祭典」の初演から始まる。
バレエ・リュスと組んだこの作品の初演は、当時としてはあまりにモダンで難解な音楽とバレエは
賛否両論、ブーイングと罵倒、拍手と喝さいが入り乱れる騒然とした、華麗なシャンゼリゼ劇場。
騒然とした中で、ひとりにんまりと満足げに微笑むシャネル。

それから7年後に再会し、亡命したストラヴィンスキーを自分のヴィラに家族とともに住まわせ、
生活と創作活動の支援をすることになる。

互いの才能に惹かれあう情熱的な二人が、激しい恋に落ちるのもの無理はない。
そんな二人を、苦しみながらも見守るしかない妻のカーチャ。

この二人の自立した女として、妻としてのプライドをにじませる二人の女性の会話に注目したい。
ストラビヴィンスキーのとの恋も
互いの芸術を高めあい、情熱をささげる相手として求め、与えるだけのもの。
シャネルにとって彼との恋は、社会通念上は背徳である不倫とは思っていない。
そういう彼女の生き方には、反発を覚えるのも女性であり、
あこがれを抱くのも女性だろうと思う。

誰でもが理解し、愛するものには疑問を感じ、興味を持たない。
そんな風にストイックと思えるシャネルだが、
恋の終盤、「芸術家」として「自立した女」として見せるの生き方、身の処し方も、
孤独との裏返し、孤高に生きるための代償なのかもしれない。

やっぱり簡単に真似なんかできない。
だからこそ、シャネルって永遠の憧れ。

muro










2010⁄04⁄10(Sat) 18:23   シネマホール | | | ↑Top

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