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ボヴァリー夫人を観ましたか?


「ボヴァリー夫人」
フランス文学の傑作と言われるこの小説、私は読んでいません。
なので、原作の中でフローベールが語ろうとしていることは、よく分からないけど、
このソクーロフが描くエマ像については、きっと賛否両論、好き嫌いも含め、
共感できるかどうか、ということもきっと議論の分かれることだろうと思います。

私自身、きっとこの小説の要約を読んだところで、
読む気を失せたままだったのかもしれない。

修道院で育った貞淑なエマが、「結婚」に過大な?期待をしたけど、
結局夫は凡庸な田舎ものの医者、日常は退屈で、このままただ年をとるだけ・・・
きっと、エマは結婚と恋愛とごっちゃになって、
結婚すれば、情熱的な愛にあふれた幸福を手に入れることが出来る・・・
と思ったのでしょうか。

ソクーロフ監督のエマ像「美しくない美女」という
この映画の中のエマはを演じるセシル・ゼルヴダキは、
実は女優ではなく民族言語教師だそうです。
イタリア系ギリシャ人である、彼女の容貌は、
目が大きく骨ばっていて美人とは言いがたいけど、
救いがたい渇望感と純真さと悲しみが混じった表情が印象的なエマを
見事に演じていると思う。

エマが自分でも持て余すほどの、
何かを求めてやまない焦燥感にも似た気持ち。
この思いは少しは理解できる。
ただ、彼女のそんな姿に共感できるか、というと難しい。
むしろ、エマの愚かしさがキライだ、見ていられないと思う人は多いかもしれない。
それが監督の思うところなのだと思う。
きっと、それは合わせ鏡のようなもので、自分自身のいやな部分を見せ付けられた
そんなことなのかもしれない。
エマは、私にもあなたの中にもいるもう一人の私なのかもしれない。
エマの救いはどこにあるのだろう・・・

「サヨナライツカ」の陶子の場合はどうだろう。
これも小説は読んでいないので、映画の中だけの話ですが、
豊が陶子と出会い、二人が結ばれた時
豊が、「自分が死ぬ時に愛されていたと思いたいか、愛していたと思いたいか」と聞くと、
陶子はすかさず「愛されていたと思いたい」と答える。
豊との出会いを、お気に入りのルイ・ヴィトンのバッグを見つけたような気持ち、
なんてことを言う。

二人は、情熱的に愛し合うわけだけど、
結局二人は別れ、豊はいいなずけと結婚してしまう。
映画では、その後の二人の人生を一気に先に進めてしまう。
そして、再会。

二人のその後については、映画をご覧いただいて、
実際に陶子や豊の気持ちを味わっていただくしかないですが、
出会った頃の陶子は、オリエンタルホテルのサマセット・モームと名づけらた
スイートルームに滞在し、部屋中、高級ブランドの服やバッグなどがあふれ、
毎日着飾っては男友達と遊んでる・・・という暮らしぶりから、
陶子がどんな状態かというのも、分かります。
その陶子を演じる中山美穂は本当にキレイで、輝く美しさです。
そんな陶子に誘惑されれば、許婚がいようと、男は簡単に落ちちゃいますよね。
そういえば、二人が頻繁に会うバー?の名前が「雨」。
う~ん、きっとこれは作者の意図があって名づけた名前なんでしょうね。
小説では、なにかそのようなことが書かれてるのですかね?

だんだん本筋から外れていきますが、
この2本の映画で描かれるところの女性像。
この二人が求めていたのは、愛されること? 愛すること?
そしてエマや豊と別れ再会した陶子はその答えを出したのでしょうか。

このようなテーマが、まだ答えの出せないものとしてあるということに、
少し残念な気持ちになってしまうのは、私だけなんでしょうか・・・・
なんとなく歯切れが悪いですが。

muro
















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2010⁄01⁄31(Sun) 14:09   シネマホール | | | ↑Top

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