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金子教授の映画学入門24


ジョン・レノンニューヨーク
1980年12月8日にファンと称する人物の凶弾で亡くなった。

「もし、皆が新しいテレビの代わりに平和を要求するのならば、平和が実現できるだろう」
「解決できない問題なんてないさ」 「幸せになることに躊躇してはいけない」
「人の言うことは気にするな。『こうすれば、ああ言われるだろう・・・』こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人はやりたいこともできずに死んでいくのだろう。」
「愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの」
「結局、あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい」


没後30年以上を経た現在も輝きを失わないジョン・レノン。
最後の9年間を過ごしたニューヨークでの生活を追ったドキュメンタリー映画だ。
監督は、マイケル・エプスタイン。オノ・ヨーコの全面協力のもとに完成した。
本人の発言はもちろんのこと、プロデューサー、ジャック・ダグラスや
ミュージシャン仲間のインタビューによって等身大のジョン・レノンの姿が浮かび上がる。
音楽への情熱そして平和への行動が刻まれている。


ロンドンでの生活は、
妻のオノ・ヨーコへのバッシングの嵐がすさまじかった。
ニューヨークで初めて自由に二人の生活ができ、
自身の音楽活動にも専念できるようになった。

ベトナム戦争反対の集会でのコンサート活動、
国外追放になるかとおびえながらも
最後まで愛したニューヨークに留まった。
ついに市民権を獲得することになるのだが。

今回のドキュメンタリーで一番驚いたのは
1973年9月から1975年の1月までヨーコと別れ、
ロサンゼルスで生活していたことだ。

そしてロサンゼルスの家にはポールや
最先端のアーティストが訪れる。
刺激的な生活だつたが次第に酒におぼれるようになる。
その破滅的な生活に終止符を打ち、
ヨーコとの復縁を取り持ったエルトン・ジョンの
最新インタヴューがいい。

妻であり母であったヨーコの存在にも改めて光が当てられるいる。
ヨーコの存在がジョン・レノンの言葉と音楽を紡ぎだしていく
源泉になっていたことがわかる。

ヨーコと再び暮らし始めたジョン・レノンの新曲もいい。
ショーンが生まれ、イクメンに専念し、ふつうの生活を取り戻していく。
そこからまた新しい曲が生まれる。
再生への曲が。
新たな曲作りに取り組んでいた矢先の死だけに惜しまれてならない。

このドキュメンタリーの良さは、
何よりも曲作りに打ち込むジョンの歌声・音楽の魅力にある。

今、ジョン・レノンが生きていたらどんな曲を作るだろうか。
「ホワイトクリスマス」を聴く度に思う。

金子幸代
金子研究室http://160.26.62.22/hibun/kaneko/

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2011⁄12⁄17(Sat) 20:54   未分類 | | | ↑Top

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